2012年10月16日火曜日

京大 山中教授に学ぶ




みなさんこんにちは(^O^)/

先日ですが、ノーベル賞の発表が相次いでありました。

作家村上春樹さんの受賞は残念ながらありませんでしたが、

京都大学の山中教授がノーベル医学生理学で受賞が決まりました!


おめでとうございます!


多々の努力と継続があったはずです。

ここでまとめ上げる、そんな一言では終わらないですよね(^^;

でも少しだけ、その時その時の進路、岐路について、共感する部分をあげてみたいです。




■エリート医学生でも挫折する。


山中教授は、神戸大学の医学部を出ておられます。

エリートです。卒業後は、整形外科医を目指しておられたようです。



しかし、こんなエリートの国公立大医学部生でも、その後のキャリア形成において、

ひとつの挫折をしておられます。(ご本人が挫折と思っているかどうかは・・・?ですが。)

(山中教授の経歴についてはこちらをご参考に。)


整形外科といえば、骨折したときにお世話になり、手術は必須です。

しかし、山中教授は、整形外科臨床医を目指す中で、手術における適性がありませんでした。

同僚からは、手術の際には邪魔だからと、「じゃまなか」と呼ばれていたそうです。



しかし、「医者として患者を救う」という情熱は、消えなかったんですよね。

基礎研究の面でその思いを果たそうとされたのです。

そしてその後も、日本と米国の研究環境の違いから、さらに岐路に立つことになります。
(詳しい話は省略です)

しかし基礎研究面で患者さんを救うという情熱ははかり知れず消えなかったのだと思います。

それが、いまのノーベル賞につながっている。




■人間だれしも、最初に思い描いたやりたいことが出来るわけではない。


受験生のみなさんは、大学受験進路を決める上で、

自分の将来の希望、やりたいことを念頭に進路を決める人がほとんどでしょうが、

必ずと言ってよいほど、このような岐路に立つと思います。


これを書いている私も、当時バイオ技術・研究者を目指して農学部へ入りました。

しかし、入学後、学科選択、そして研究室選択で岐路に立ち、

卒業後は、就職、さまざまな社内配属で岐路に立ち、

今現在は、当初のバイオ技術・研究者とはかけ離れたキャリアを積んできています。

順調にいけば、今は・・・(笑)


特に理系で研究職、技術職を目指す場合は、上のようなことが数多くあてはまるのが現実です。

私の友人でも、京大大学院をでてついた研究職でしたが、今は営業という形でに配置転換しています。


自分の将来を思い描くことは、素晴らしいことですし、

とてもわくわくすることです。

しかしながら、現実として、厳しいものが待っている。

しかし、それをいいものにしていけるかどうかは、自分次第なのです。




■キャリア形成は、人の役に立とうとする情熱


進路選択、キャリア形成ってなんでしょう。

私は、その時間その時間、「今」を一生懸命生きると言うことだと思います。


今現在、自分が情熱を掲げているやりたいことを目指す。

それは、何を持って、人の、世の中の役に立ちたいのか、を考えることです。

それが、一人の人間としてのキャリアを形成していくのだと思います。



    どうもわたしは、情熱が足りなかったようです・・・(笑)




■受験も同じキャリア形成、GOALじゃない。


受験もキャリア形成の一部です。

ですから、最終的な「GOAL」ではありません。

キャリアは、自分の選んだ進路をもとに、合格後もまだまだ先へ続くのです。

どんな分岐点が待っているかは、誰もわかりません。

いまから、わくわくするな~みたいな感じでいいと思います。


でも、その都度、

何を持って世の中の役に立ちたいのか考え、、、

情熱を注いで、「今」を大切にしよう(^_^)。

とすることは、一念に置いておくといいと思います。



・・・・・なんて書くと大げさですね(^^;


行きたいところ、やりたいことを目指して、あきらめず、全力をつくしましょう(^O^)/。


受験期間も、合格後も、いろいろと岐路に立ちますが、

上の気持ちで、きっとついてきますよ(^u^)





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